2010年8月16日月曜日
個展ふりかえり
おかげさまで無事に千年一日での個展、終了しました
搬出後の夜はばたばたと過ぎ、家事を終えてサホも寝てくれて、
暗い部屋でたくさんのお客さんからのひとことが書かれた記帳を眺めて、
一人しみじみと会期を振り返りました
サホもだんなさんもワタシの予定に振り回されっぱなしですんごく疲れただろうなと思います
いっぱい迷惑かけてごめんなさいよー
でも個展終了はげにまっことさみしいかんじがするぜよ。。。
また次をめざしていかんとね
今回の作品は人の生死と花をテーマにした作品だったのですが、
コメントの中で、「”花”と”死”って漢字が似てますね」と
書いてくださっている人がいて、確かにと思いました
今、注文いただいた作品を再プリントしているのですが、
次はどうしよう…と先のことばかり考えてしまいます
さいきん生け花の教室を初体験したこともあって
以前よりも草花を観察するようになりました
次は今回とはまた違った”花”かもしれません
2010年7月13日火曜日
my sweet silent journey
はじまりました!
千年一日珈琲焙煎所にて、8月10日までです。
この2ヶ月ほど休み無く私を支えてくれた夫に感謝です。
がんばったのにこのくらいか、と思う気持ちと、この時期によくできたな〜というのと半々。
子連れ新宿ラボツアーなど、トライしてみてよかったと思うこともあり、
乳飲み子がいるからといって色々出来ないと決めつけなくてもいいんだと、
少し自信がつきました。
でも作品はまだまだです。今回初めて額装をオーダーしてみたけど、見せ方って難しいと改めて思いました。
いっぱい心配と迷惑をかけた大坪さん、ごめんなさい。感謝してもしきれない。
家の中はぐちゃぐちゃですが、そのまんまで、旅支度。
明日から2週間、土佐の里山生活に入ります。
気がつけば八月だった、ということになりそうです。
2010年5月19日水曜日
人生は歓喜の歌に向かって
ジョイ本からの帰り道、最近多いのだけどモラちゃんが車の中で超高音域で泣きまくる
全然泣き止まないので、語りかける私(以下演説)
”モラちゃん、人生ではね、もっともっと悲しいこといっぱいあるんだよ!
今お腹空いてるんかもしれない、おむつが気持ち悪いんかもしれん、
でもあと5分待って、5分待ったら絶対家に着くから!
モラちゃんの人生は長いんだよ〜!
例えるならね、交響曲でゆったら、えーと...(ベートーベンの場合を考える)
交響曲第九番まであって一つがだいたい第四楽章までだから〜、
えーと人生80年として...(アホなので計算が遅い)
半年しか経ってないあなたはまだ第一楽章の半分の半分、でもあとこれを144回繰り返すと終わりなんだよ!え、意外とあっという間やな...私なんてもう第四番くらいじゃないの?”
と一人で喋ってるんだから変な人です
帰ってお乳をあげながら読んだ本にたまたまこういうことが書いてありました
”多くの現代人の生活はオーケストラの交響曲に似ている。それぞれは雑然とした音を出すパートである。指揮者がそれをまとめ不調和なものを調和させるからこそ、そこに独特な美しさが生まれる。
雑然とした現代をひたすら悪いときめてしまうことは当を得ない。いまのところ、まだ、ソロの独奏しか知らない人間が多くて、指揮者のいないオーケストラのようになりがちなために問題がおこる。
よく、落ちついてじっくり勉強したい、という述懐を耳にする。ソロの世界をあこがれ現実を逃避しようとしているのであろう。雑然とした多様の中においても、コンダクターがしっかりしていれば、すばらしい創造が可能である。
人生を芸術にするーーーこれぞ最高の知的生活である。”
外山滋比古「ライフワークの思想」
写真もまた、全ての瞬間を見せればよいのではなく、何をどう見せるかという取捨選択の妙が指揮者の仕事に似ていると思う。比類なき孤高の演奏者にもあこがれるけど、自分自信が己の人生の指揮者になったとき(つまりは色んな面でコントロールができるということかな?)最高に人生が面白く転がっていくんじゃないだろうか。
赤ちゃんが自分でトイレに行けるようになり、やがてお乳より美味しいものを知るように...?
全然泣き止まないので、語りかける私(以下演説)
”モラちゃん、人生ではね、もっともっと悲しいこといっぱいあるんだよ!
今お腹空いてるんかもしれない、おむつが気持ち悪いんかもしれん、
でもあと5分待って、5分待ったら絶対家に着くから!
モラちゃんの人生は長いんだよ〜!
例えるならね、交響曲でゆったら、えーと...(ベートーベンの場合を考える)
交響曲第九番まであって一つがだいたい第四楽章までだから〜、
えーと人生80年として...(アホなので計算が遅い)
半年しか経ってないあなたはまだ第一楽章の半分の半分、でもあとこれを144回繰り返すと終わりなんだよ!え、意外とあっという間やな...私なんてもう第四番くらいじゃないの?”
と一人で喋ってるんだから変な人です
帰ってお乳をあげながら読んだ本にたまたまこういうことが書いてありました
”多くの現代人の生活はオーケストラの交響曲に似ている。それぞれは雑然とした音を出すパートである。指揮者がそれをまとめ不調和なものを調和させるからこそ、そこに独特な美しさが生まれる。
雑然とした現代をひたすら悪いときめてしまうことは当を得ない。いまのところ、まだ、ソロの独奏しか知らない人間が多くて、指揮者のいないオーケストラのようになりがちなために問題がおこる。
よく、落ちついてじっくり勉強したい、という述懐を耳にする。ソロの世界をあこがれ現実を逃避しようとしているのであろう。雑然とした多様の中においても、コンダクターがしっかりしていれば、すばらしい創造が可能である。
人生を芸術にするーーーこれぞ最高の知的生活である。”
外山滋比古「ライフワークの思想」
写真もまた、全ての瞬間を見せればよいのではなく、何をどう見せるかという取捨選択の妙が指揮者の仕事に似ていると思う。比類なき孤高の演奏者にもあこがれるけど、自分自信が己の人生の指揮者になったとき(つまりは色んな面でコントロールができるということかな?)最高に人生が面白く転がっていくんじゃないだろうか。
赤ちゃんが自分でトイレに行けるようになり、やがてお乳より美味しいものを知るように...?
2010年5月18日火曜日
a-n眠いよ
7月に千年一日珈琲焙煎所という、とてもすてきなお店で個展をやらせていただけることになりました!
で、毎日、モラちゃんが寝入った後ごそごそと活動をしているわけです
現像液は温まるとすごく臭いので、これを吸って母乳に影響しないかちょっとドキドキしてます
テーマは鯛、じゃないよ!旅です、バカか私は。。。
放浪の人生を夢見ていたはずが気付けば10年特例が使えるくらい天久保居住が長いみたいでび、びっくり
もう一児の母でミソジ寸前だというに未だ学生気分が抜けないのは住人の8割が学生なんじゃないかという居住エリアのおかげだな、きっと
朝まで起きててガンガン音楽かけようが暗室のコンプレッサーがブヒブヒ言おうが文句ひとつ言わない近隣の学生さん、ごめんね
おねーさんは君たちをみていると恥ずかしいレンアイや全然勉強しなかったことや、やたら時間が有り余っていたのにいつも眠かったことなどを思い出してひとりため息ついてしまいます
そして今もあの頃も同じ場所にいてやっぱり写真をやっている私、なんて幸せな人生なんだろうね
ちょっと思い描いていたのとは違う生き方だったけど
放浪はいつでもできるさ
ああ、泣いてる〜〜、、、
で、毎日、モラちゃんが寝入った後ごそごそと活動をしているわけです
現像液は温まるとすごく臭いので、これを吸って母乳に影響しないかちょっとドキドキしてます
テーマは鯛、じゃないよ!旅です、バカか私は。。。
放浪の人生を夢見ていたはずが気付けば10年特例が使えるくらい天久保居住が長いみたいでび、びっくり
もう一児の母でミソジ寸前だというに未だ学生気分が抜けないのは住人の8割が学生なんじゃないかという居住エリアのおかげだな、きっと
朝まで起きててガンガン音楽かけようが暗室のコンプレッサーがブヒブヒ言おうが文句ひとつ言わない近隣の学生さん、ごめんね
おねーさんは君たちをみていると恥ずかしいレンアイや全然勉強しなかったことや、やたら時間が有り余っていたのにいつも眠かったことなどを思い出してひとりため息ついてしまいます
そして今もあの頃も同じ場所にいてやっぱり写真をやっている私、なんて幸せな人生なんだろうね
ちょっと思い描いていたのとは違う生き方だったけど
放浪はいつでもできるさ
ああ、泣いてる〜〜、、、
2010年4月26日月曜日
パルファン、カムバーック!!!!
私たちの大好きなつくばのレストラン、パルファンが閉店という衝撃の事実を知ったのは1ヶ月ほど前のこと。。。かつ雅といい、ここといい、私の里帰り中に無くなってしまってるなんて悲しすぎる。最後にワタリガニのパスタ食べたかったよ〜!!!!
子どもが生まれたらなかなか食べに行けなくなるけど、結婚一周年には一緒に行きたいねって話してたのに。
そんな悲嘆の中、パルファンのマスターが某所で働いているという情報をゲット!そこでパルファンのメニューが食べられるというではないか!ネットサーフィンも捨てたもんじゃないね!
というわけで先日の昼下がり、モケロンと私は焼き鳥大学に赴いたのでした〜
が、そこの入り口で会ったオーナーさんから、マスターは2月で辞められたとの事実を知りました。体調のせいとは伺っていましたが、心配です。本当に残念で仕方が無い。
マスターが残していったワタリガニのスパゲティをいただき、お店を後にしました。つくばに10年住んでて初めて入ったんですが、サウナ大学けっこういいとこでないか?!表のネオンが怪しすぎて入る気になれなかったんだけど、今度お風呂も行ってみようかしら。
パルファンのマスターさん、素晴らしい腕をまた活かせる日が来ることを切に願っております!新しいお店も、ぜひまたパルファンで。絶対行きますから。
なつメロ
最近整理整頓にハマっている。
で、古い手紙やらテレカやら写真、分類不能なものが入った箱を整理していると中からCDシングルが。懐かしすぎる!シングルってもう無いんじゃないの?この形。。。
クレジットを見てみると93年となっていた。小学校高学年から中学生くらいの時、洋楽の番組にハマっていたのを思い出す。毎週土曜にFMの深夜放送でむこうの全英、全米チャートのプログラムをそのまま4時間くらい垂れ流してて、それをテープにせっせと録音して楽しみに聴いていた。(深夜なので予約するんだけど、カセットテープがうまくリバースしてくれなかったときなんか翌朝かなり凹んだものだ。)
それくらいしか高知という一地方都市に住むおぼこい10代の自分が触れることのできる情報源ってなくて、でもそのわくわく感というのはこんなに簡単に好きな音楽やメディアがインターネットを通じて手に入る時代になっちゃうと味わえないだろうと思う。
CD一枚が3000円もしてたもんね。今もこの時代に買ったなつかしいCDは捨てられないでいる。
というわけでHEART。この頃グランジ全盛期でこのシングルもたいしたヒットはしなかったよう。中身はこってりなラブソングだけど邦楽にはないロックな壮大さがかっこよくって何百回と聴いた曲。美人姉妹のツインヴォーカルという変わった編成らしい。CDのジャケットからはよく分からんので検索してみた。これデビューアルバム→
aloneのpvなんてさっきu-tubeで初めて見たけどおねーちゃん(黒髪の方)かっこよすぎ。当時こういうツールがあったら絶対もっと好きになっていたろうなあ。M-tvとか一般家庭では観られなかったし。
あの頃自分が生きてた時代に流れてた音楽との一体感は再現できないけど、こうしてネットは過去のそれが一体どんなものだったのかっていうのを詳細に見せてくれるから面白いなあと思った。
...ああ、進まない整理。
2010年3月18日木曜日
私が死んだら
もし私が今日死ぬとしたら、
とうぜん悲しいと思う。
大好きな夫と娘を残して逝ってしまう、娘の成長した姿も見られない。
両親にもじゅうぶん孝行できなかった。
でも娘はいずれ誰かと結ばれて、子どもを産むだろう。
そう思うと、ふっと心が軽くなる。
未来は分からないけど、私がいなくなても、この子が生きて、子どもを産んで、その子がまた生きて、
繰り返して繋がっていくんだと思うと、
なんだか死ぬのもしょうがないかと、受け入れられるような気がする。
それが子どもを産んでいちばん良かったことのような。
いや、まだまだ長生きする気満々だけど、ふとそんなことを思いました。
とうぜん悲しいと思う。
大好きな夫と娘を残して逝ってしまう、娘の成長した姿も見られない。
両親にもじゅうぶん孝行できなかった。
でも娘はいずれ誰かと結ばれて、子どもを産むだろう。
そう思うと、ふっと心が軽くなる。
未来は分からないけど、私がいなくなても、この子が生きて、子どもを産んで、その子がまた生きて、
繰り返して繋がっていくんだと思うと、
なんだか死ぬのもしょうがないかと、受け入れられるような気がする。
それが子どもを産んでいちばん良かったことのような。
いや、まだまだ長生きする気満々だけど、ふとそんなことを思いました。
2010年3月8日月曜日
逃げる私、追う自分
母親になって変わったこと
・外でよく知らない人に声をかけられる(特に年配のおば様)
・お乳のせいで体重がこの10年で一番落ちた(産後一ヶ月で妊娠前−3キロ!)
・まだ生まれて3ヶ月だというのに、今までの写真をスライドショーで観てるとこの子の結婚式を想像して涙が出る、恥ずかしいけど(BGMは小田和正で)
・カフェインとアルコールを全く摂らなくなった(控えざるを得ないのだけど)
・10年近くぶりに髪をベリーショートにした(めちゃくちゃ楽!!)
・お惣菜を一品増やすようにした(やはり良質なお乳のため)
・人の親切が身にしみるようになった(赤ちゃん連れのときドアを開けて待っててくれたり、荷物を運んでくれたり)
・自分の親、親戚にマメに連絡をとるようになった(携帯のTV電話で見る孫がジジババの楽しみ)
んー、自分で思ったよりあんまり大きな変化は無いんだな。たいしたことなくってすみません...でも、自分ではすごく変わったような気がするのです。
特に、他人の子どもを見ても気になるようになったのは変化かな。
子どもの虐待死なんかのニュースなんて夜布団の中でふと思い出してすごく落ち込む。
最悪子どもは親じゃなくてもいいから、誰かのあったかい愛情に包まれて精神的に安定した毎日を過ごす必要があると思う。何も産みの親が絶対なんてことないと思う。
ちょっと話がずれるけど...どうしても血縁の子が欲しくて代理出産や人工授精を望む人が世の中に沢山いることは理解できる。でも世間の子どもを皆で育てようっていう気持ちがもっと地域社会や、家族に残っていれば、恵まれない子どもや、子を授かれない親も救われるんじゃないかな。まずは脱核家族じゃないだろうか。世代世代が独立して、老後の介護も外注で...なんて寂しすぎる上にそれだけの手厚いケアを受けられる人も財力的にこれからは多くないだろうし、今だって老いた親の葬儀を出せずに子どもが遺棄容疑で逮捕されるなんてニュースがちょくちょく聞かれる。子どもと、老人。それぞれを誰かが集中して看ることには限界がある。疲弊することによって害を被るのはお互いだ。子どもに生まれて老いて死ぬ。人は始めと最後にすごく脆くなるようになっているらしい。それは集団でしか生きていけないようにあらかじめ決められていたからかもしれないと思う。誰かに支えられて生きて、死を迎えることができる動物だから人間なのかも。独立して、それぞれが自立して死を迎える生き物だったらこんな巨大で複雑な社会は出来なかったろう。
とにかく自分の住む国の子どもに幸せでいてほしい。世界のうんぬんよりも、こう思う気持ちが強くなった。それってやっと今自分が生きる社会の現実を直視しなきゃいけなくなったからなのかもしれない。今まではなんとなく、生き難い社会なら逃げればいいんじゃない?って思ってたからなあ。
中東で一人旅をしているときに、やっぱり一人で3年くらい、いやもっとかも、旅をしている30くらいの男の人に会った。彼は何度目かに登った夜のヒマラヤのテントの中で、”もう、一人はいいんじゃない?”って思ったそうな。
それで、誰かを探すようになった。この自分に向き合う孤独の時間を愛する彼の心にふいに現れたサインのこと、私も自分にいつか分かるような気がした。というか、私も本当は心から一人でいたいと思ったことは無いと思う。でも心から一緒にいたいと思う人に巡り会わなかった。いつでも自分のいる世界から逃げられるようにしていたい気持ちと、逃げられないような絶対的な存在に留めておいて欲しい気持ちが混在していた。
今は完璧に(相手からも、社会からも)逃げられない方の私ですが、いつか逃げたいと思わなくていい世界を作れたらいいなー。
なんて思います。
たとえ逃げたいような世界でも、絶対的な存在さえあれば結局のところ救われているのでしょうね。
明日こそめんどくさい確定申告を片付けよう。。逃げてばかりじゃ。
ではみなさま、おやすみなさい〜
2010年2月15日月曜日
印鑑をつくった
今月初めに注文した印鑑が大安の日に届いた。
子どもの通帳をつくるのに必要で、ネットで検索してよさそうな職人さんを見つけてお願いしておいたのである。
楽天なんかでハンコ屋を検索するとおそろしいくらいの数の店が出てくるが見比べていくうちに印鑑てのは値段があってないようなものというのが判った。素人目には素材や堀り方(機械か、手彫りか)の違いなんてほとんど判らないし、ならば安ければいいかというとどこでも作れそうな機会彫りは安全上心配。自分のものなら安いので構わないけど子どものはちゃんとしたのを作ってやりたい。というわけで上の職人さんのサイトに行き当たった。三代にわたってはんこ職人として店を構えていて、それぞれの代が考案したオリジナルの字体もある。迷った末、当代考案の行書と印相体をブレンドしたものをお願いした。
出来上がった印鑑は想像したものより癖の強い、今にも踊りだしそうな生き生きとした文字。文字の跳ねの部分が龍の手足のようにも見える。しっかり名前も読めて、力強い。一生使ってほしいので下の名前でお願いしたが、正解だったと思う。18になったときにこれを渡すのが楽しみ。え〜、なにこれって言われるかもしれないけど。自分は親のくれたものってそのときはピンとこなくて粗末に扱ったりあからさまに嫌がったりしたものだった。でも時間が経つとああ、これっていいものだったんだって気づいたりする。そして自分の稚拙さと親の優しさが身にしみる。先の壊れた万年筆、無くしてしまったペンダント、自分で作り替えてしまったカーディガン…ごめんなさいって言いたいものが沢山。
ああ、子ども(私だけか?)ってバカ。でも愛さずにはいられない。
子どもの通帳をつくるのに必要で、ネットで検索してよさそうな職人さんを見つけてお願いしておいたのである。
楽天なんかでハンコ屋を検索するとおそろしいくらいの数の店が出てくるが見比べていくうちに印鑑てのは値段があってないようなものというのが判った。素人目には素材や堀り方(機械か、手彫りか)の違いなんてほとんど判らないし、ならば安ければいいかというとどこでも作れそうな機会彫りは安全上心配。自分のものなら安いので構わないけど子どものはちゃんとしたのを作ってやりたい。というわけで上の職人さんのサイトに行き当たった。三代にわたってはんこ職人として店を構えていて、それぞれの代が考案したオリジナルの字体もある。迷った末、当代考案の行書と印相体をブレンドしたものをお願いした。
出来上がった印鑑は想像したものより癖の強い、今にも踊りだしそうな生き生きとした文字。文字の跳ねの部分が龍の手足のようにも見える。しっかり名前も読めて、力強い。一生使ってほしいので下の名前でお願いしたが、正解だったと思う。18になったときにこれを渡すのが楽しみ。え〜、なにこれって言われるかもしれないけど。自分は親のくれたものってそのときはピンとこなくて粗末に扱ったりあからさまに嫌がったりしたものだった。でも時間が経つとああ、これっていいものだったんだって気づいたりする。そして自分の稚拙さと親の優しさが身にしみる。先の壊れた万年筆、無くしてしまったペンダント、自分で作り替えてしまったカーディガン…ごめんなさいって言いたいものが沢山。
ああ、子ども(私だけか?)ってバカ。でも愛さずにはいられない。
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