2010年3月8日月曜日

逃げる私、追う自分



母親になって変わったこと

・外でよく知らない人に声をかけられる(特に年配のおば様)
・お乳のせいで体重がこの10年で一番落ちた(産後一ヶ月で妊娠前−3キロ!)
・まだ生まれて3ヶ月だというのに、今までの写真をスライドショーで観てるとこの子の結婚式を想像して涙が出る、恥ずかしいけど(BGMは小田和正で)
・カフェインとアルコールを全く摂らなくなった(控えざるを得ないのだけど)
・10年近くぶりに髪をベリーショートにした(めちゃくちゃ楽!!)
・お惣菜を一品増やすようにした(やはり良質なお乳のため)
・人の親切が身にしみるようになった(赤ちゃん連れのときドアを開けて待っててくれたり、荷物を運んでくれたり)
・自分の親、親戚にマメに連絡をとるようになった(携帯のTV電話で見る孫がジジババの楽しみ)

んー、自分で思ったよりあんまり大きな変化は無いんだな。たいしたことなくってすみません...でも、自分ではすごく変わったような気がするのです。
特に、他人の子どもを見ても気になるようになったのは変化かな。
子どもの虐待死なんかのニュースなんて夜布団の中でふと思い出してすごく落ち込む。
最悪子どもは親じゃなくてもいいから、誰かのあったかい愛情に包まれて精神的に安定した毎日を過ごす必要があると思う。何も産みの親が絶対なんてことないと思う。

ちょっと話がずれるけど...どうしても血縁の子が欲しくて代理出産や人工授精を望む人が世の中に沢山いることは理解できる。でも世間の子どもを皆で育てようっていう気持ちがもっと地域社会や、家族に残っていれば、恵まれない子どもや、子を授かれない親も救われるんじゃないかな。まずは脱核家族じゃないだろうか。世代世代が独立して、老後の介護も外注で...なんて寂しすぎる上にそれだけの手厚いケアを受けられる人も財力的にこれからは多くないだろうし、今だって老いた親の葬儀を出せずに子どもが遺棄容疑で逮捕されるなんてニュースがちょくちょく聞かれる。子どもと、老人。それぞれを誰かが集中して看ることには限界がある。疲弊することによって害を被るのはお互いだ。子どもに生まれて老いて死ぬ。人は始めと最後にすごく脆くなるようになっているらしい。それは集団でしか生きていけないようにあらかじめ決められていたからかもしれないと思う。誰かに支えられて生きて、死を迎えることができる動物だから人間なのかも。独立して、それぞれが自立して死を迎える生き物だったらこんな巨大で複雑な社会は出来なかったろう。

とにかく自分の住む国の子どもに幸せでいてほしい。世界のうんぬんよりも、こう思う気持ちが強くなった。それってやっと今自分が生きる社会の現実を直視しなきゃいけなくなったからなのかもしれない。今まではなんとなく、生き難い社会なら逃げればいいんじゃない?って思ってたからなあ。

中東で一人旅をしているときに、やっぱり一人で3年くらい、いやもっとかも、旅をしている30くらいの男の人に会った。彼は何度目かに登った夜のヒマラヤのテントの中で、”もう、一人はいいんじゃない?”って思ったそうな。
それで、誰かを探すようになった。この自分に向き合う孤独の時間を愛する彼の心にふいに現れたサインのこと、私も自分にいつか分かるような気がした。というか、私も本当は心から一人でいたいと思ったことは無いと思う。でも心から一緒にいたいと思う人に巡り会わなかった。いつでも自分のいる世界から逃げられるようにしていたい気持ちと、逃げられないような絶対的な存在に留めておいて欲しい気持ちが混在していた。

今は完璧に(相手からも、社会からも)逃げられない方の私ですが、いつか逃げたいと思わなくていい世界を作れたらいいなー。
なんて思います。
たとえ逃げたいような世界でも、絶対的な存在さえあれば結局のところ救われているのでしょうね。

明日こそめんどくさい確定申告を片付けよう。。逃げてばかりじゃ。
ではみなさま、おやすみなさい〜

0 件のコメント: