2010年5月19日水曜日

人生は歓喜の歌に向かって

ジョイ本からの帰り道、最近多いのだけどモラちゃんが車の中で超高音域で泣きまくる
全然泣き止まないので、語りかける私(以下演説)

”モラちゃん、人生ではね、もっともっと悲しいこといっぱいあるんだよ!
今お腹空いてるんかもしれない、おむつが気持ち悪いんかもしれん、
でもあと5分待って、5分待ったら絶対家に着くから!
モラちゃんの人生は長いんだよ〜!
例えるならね、交響曲でゆったら、えーと...(ベートーベンの場合を考える)
交響曲第九番まであって一つがだいたい第四楽章までだから〜、
えーと人生80年として...(アホなので計算が遅い)
半年しか経ってないあなたはまだ第一楽章の半分の半分、でもあとこれを144回繰り返すと終わりなんだよ!え、意外とあっという間やな...私なんてもう第四番くらいじゃないの?”

と一人で喋ってるんだから変な人です
帰ってお乳をあげながら読んだ本にたまたまこういうことが書いてありました

”多くの現代人の生活はオーケストラの交響曲に似ている。それぞれは雑然とした音を出すパートである。指揮者がそれをまとめ不調和なものを調和させるからこそ、そこに独特な美しさが生まれる。
雑然とした現代をひたすら悪いときめてしまうことは当を得ない。いまのところ、まだ、ソロの独奏しか知らない人間が多くて、指揮者のいないオーケストラのようになりがちなために問題がおこる。
よく、落ちついてじっくり勉強したい、という述懐を耳にする。ソロの世界をあこがれ現実を逃避しようとしているのであろう。雑然とした多様の中においても、コンダクターがしっかりしていれば、すばらしい創造が可能である。
人生を芸術にするーーーこれぞ最高の知的生活である。”
外山滋比古「ライフワークの思想」


写真もまた、全ての瞬間を見せればよいのではなく、何をどう見せるかという取捨選択の妙が指揮者の仕事に似ていると思う。比類なき孤高の演奏者にもあこがれるけど、自分自信が己の人生の指揮者になったとき(つまりは色んな面でコントロールができるということかな?)最高に人生が面白く転がっていくんじゃないだろうか。

赤ちゃんが自分でトイレに行けるようになり、やがてお乳より美味しいものを知るように...?

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